小町伝説と北向観音(昔話15)

 ☆ 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

絶世の美女といわれた小野小町も年をとってくるとやはりその美貌も徐々に世間の噂にも上らなくなってきた。

この晩年がどのようであったのか? 土浦市と石岡市にまたがる地方に面白い話が残されている。

小町はもう晩年に近づいてきた頃、昔の美貌もまだ残っておりましたが肌も荒れやはり往年の面影はかなり薄れておりました。
都の占いで、東国に行けば肌もきれいになる場所もありこの世の浄土があると聞いて東国から陸奥国への巡礼の旅をする決心をしました。

生まれが出羽国(秋田)であり、親類も陸奥国にもたくさんいたのでそちらへも行ってみたいと思ったのです。

そして筑波山の麓の清滝観音までやってきました。
しかし長旅がたたりこれ以上先に進むことができず、この村長(むらおさ)小野源兵衛氏宅にてしばらく逗留することになりました。

小町01
(小町の里:裏山の向こうに北向観音がある)

しばらくお世話になり大分疲れも癒され、近くの清滝観音をお参りしたりしておりました。
しかし疲れと長旅の影響で顔にはイボができ、何とも哀れな姿に、村の人びとはこの山を越えた向こう側に病を癒してくれ、イボとりでも効能があると評判の北向観音があることを聞いたのです。
そこはみやこでも有名な高僧行基が彫った観音像があるというのです。

山はそれほど高くは無く小町の足でも何とか登れそうです。

天気の良い日にこの小野村から裏山に登りました。そして反対側の山ふもとにある北向観音に参拝したのです。
途中山の上の石に腰かけ汗を拭いて一休みすると、そこから北向観音までわずかでした。

komachi石
(小町腰かけ石)

お堂の下にはきれいな池や川が流れております。
小町はその池に姿を映し、衰え、イボもある顔をながめため息をつきました。

そして北向観音の観音様に必死にお願いしました。

するとどこか体も軽くなり気分も良くなってきたのです。
その後、下の池に下りて、水を汲んで飲もうと手を水の中に入れました。

小町はそこに映った自分の顔をみておどきました。
あのイボはいつの間にか消え去り、肌のつやも良いようです。

うれしくなり小町はそこの水で顔や肌を洗い穢れを落として、元気になったのでまた山を越えて小野村に戻って行きました。

北向観音は現世の幸せを叶えてくれるとされます。これは仏が北を向くと拝む人は南向きになります。
このため南の天竺の方に願いが届き、現世の御利益が得られると考えられているのです。

すっかり元気になり、小野家での暮らしも長くなり、また陸奥国への旅も続けようか考えるようになりました。

しかし、寄る年なみには勝てないものです。
元慶7年(883年)に69歳で別な病に罹りとうとう帰らぬ人になってしまったということです。

小野家では敷地の近くに小町の墓をつくり毎年供養を重ねてきたと言います。

komachi北向里
(石岡市仏生寺の里山風景)

(あとがき)

小町伝説は日本中の各地に存在します。
小野という名前もつくところが多くあり、そこには何故か小町にまつわる話が残されています。
そして年取っても絶世の美女という設定は変わりません。

しかし、ここに残されているのは同じように絶世の美女ですが、話を読み解いていくとそうではないのではないかと考えられるのです。
この話は、土浦市小野地区に残されたものと、その裏山に小町が山越えした「小野越」や小町が腰をかけた「小町腰かけ石」などの地名が残されており、北向観音のある石岡市仏生寺地区に残された話を統合しています。

少し勝手に解釈を加えていますが、話も決まった一つではないのでこのような解釈もあるとお考えください。
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石岡地方の昔話 | コメント(0) | 2014/10/25 23:42
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