仏生寺と北向観音(昔話14)

 今から1000年以上前に筑波郡の中心は北条大池のすぐ近くの平沢地区にありました。

一方茨城郡の中心は今の石岡にありました。

そんなある日、都から浄土を求め旅する一人の僧侶がおりました。

北条の平沢から筑波山から東に延びる尾根へ続くくねくねと曲がりくねった山道を汗をかきかき登っておりました。
不動明王を祀る尾根の上に立ち、登ってきた南の方には今まで歩いてきた山や里が見渡すことができました。

僧侶は、まだこれから行く豪華な七堂伽藍や七重の塔がそびえる国分寺のある常陸国国府(石岡)への思いを秘めておりました。

そしてもうすぐ日も落ち始めておりましたので、旅の僧はこの峠から道を一気に下って行きました。

ようやく急な山道も終わりそうになった時に、ふと山の中に光るものが目に飛び込んできました。

不思議に思って光る方に近づいていくと光っていたのは白檀の木でした。

僧侶は思わずその木を削り、そこに新しい仏が生まれたとさとり、時間の経つのも忘れ一つの仏像をこしらえました。
そして一つの堂宇を建てて、その仏像を祀りました。

そして里人に、この地は仏が生まれた地であるから仏生寺となづけてこの大切な仏像を守って行くように話をして去って行きました。

この堂宇が今ある北向観音堂になっていったということです。

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(あとがき)

北向観音の仏像「聖観世音菩薩立像」については色々な説がいわれています。

この観音像は、行基菩薩が奈良から連れて来た稽主勲兄弟の作ともいわれるが、一説には、観音を背負った回国六部がここにきて病にかかったとき、長い間厄介になったある家の主人に観音のご利益を説き、お礼として残したものともいわれています。
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石岡地方の昔話 | コメント(0) | 2014/10/20 23:19
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