爪書き阿弥陀(昔話10)

・爪書き阿弥陀

高浜は霞ヶ浦が大きな内海だった頃から昭和初期までの江戸までの物資輸送が水上交通としての船が使われている頃まで常陸国国府の重要な港町でした。

大和朝廷からやってきた国司たちはまずこの港から船で一の宮である鹿島神宮に参拝に行くのが習わしでした。
 
この高浜の町並みの中ほどに西光寺の阿弥陀堂(地元では西の観音という)が建っています。

お堂の中には観音像とともに、1mくらいの自然石が安置されています。

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この石には昔から伝えられている話があります。

それは、昔、親鸞上人がここから鹿島神宮に参拝のために、ここから舟に乗ろうとこの里にやってきました。

そこに腫れ物で苦しんでいる一人の男がいました。

その様子を見て、上人は気の毒に思って「その苦痛を治してあげよう」と声をかけました。

しかし、男は頑固者で「放っておけ、俺は天命を待つばかりだ。
汝がごときにこの苦痛が治せるはずがない」と最初は聞き入れませんでした。

上人は静かに念仏を唱えながら、その男の身体をなぜはじめました。

すると不思議なことに痛みがみるみる引き、腫れ物もひいてきたので、男は驚いて、寝床より起き上がり、心より上人にわび、小麦の焼いたものを勧めたといいます。

やがて上人が西浦から船に乗るために浦の岸辺にいくと、その男がやってきて「お蔭様で、現在の苦痛は治りましたが、未来の苦痛も取り除いて下さい」と懇願しました。

すると上人は「極楽往生を願うなら、常に念仏を唱えることだ。
また、汝の家の庭にある石は阿弥陀如来が宿っているから、今後はそれを信心するがよい」と言って船に乗り込んでいってしまいました。

家に帰って男は庭の石を見てみると、そこには如来の尊像が浮彫りのように現れていたので大いに驚き、男はここに一堂を建てて、自ら「常願房」と称して上人に弟子入りしたのです。

このため、この阿弥陀堂は「爪書き阿弥陀(如来)」として親しまれているのです。

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(阿弥陀如来像が浮き彫りになった石板)

(あとがき)

親鸞聖人は越後に流罪となった後、その罪を許されてからも京には戻らず主に常陸国での布教につとめた。
稲田(現笠間市)の草庵で「教行信証」を表したと言われている。
その間、書物や仏教の経典を読むために鹿島をたびたび訪れたと言われている。
高浜から舟で鹿島に渡ったことも何回もあったのだと思われる。
この爪書き阿弥陀の話以外にもこの地方には親鸞聖人の逸話が数多く残されています。

小美玉市や鉾田市の鹿島への陸上ルートにも多くの話が残されており、当時は両方のルートが使われていたものと考えられます。
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石岡地方の昔話 | コメント(0) | 2014/09/11 22:00
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