護身(ごみ)地蔵(昔話8)

護身地蔵

 国道6号線の高浜街道との交差点「貝地(かいじ)」近くに「護身地蔵(ごみじぞう)」がある。

この地蔵尊はこの国道ができるまでは高浜街道沿いの所にあった。

この地蔵はお参りすると風邪が治るとの噂で参拝客がやってくる。

そして願いが叶うとと、わらの納豆つっこに、やさいのくずなどのごみを詰めて奉納する。

これは塵芥(ごみ)と護身(ごみ)のことばが相通じるところからきているのだという。

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ここには次のような昔話が伝わっている。

戦国時代に、三村や舟塚山付近の戦いのとき、一人の武士が追手に追われてこの地蔵尊へ逃げ込んできた。

しかし、身体はすでに傷だらけで、もう歩く力もほとんどない。

もう逃げるところはなく、これまでと武士は覚悟を決めた。

その時、突風が起こり、砂塵を巻き上げ、追手の視界を遮った。

武士もやっとの事で目を開けると、すぐそばに一人の老婆が立っており、武士を近くの塵芥の山の中へ隠した。

突風がやみ追手が目を凝らしたが武士はどこにも見えなくなっていた。

追手は老婆に「ここへ、武士が来なかったか」と訊ねた。

老婆は慌てる風もなく「ここには誰も来ておりません。」と平然とこたえた。

その様子に追手も疑うことなくあきらめて行ってしまった。

追手が見えなくなり、武士が塵芥の山から這いでるともう老婆の姿はどこにもなかった。

一命を救われた武士は、この老婆はこの祠の神様に違いないと涙を流して感謝した。

そして、数年後に再びこの地を訪れ、感謝の石地蔵を寄進した。

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(あとがき)

国府公民館のすぐ脇であるがこの地蔵尊はこの国道(バイパス)ができるまでは高浜街道沿いの所にあった。
また近くには平景清が産湯を浸かったという室ヶ井の湧き水もあったが、国道工事で昔の姿を考えるのは難しい。

昭和4年の石岡の大火でこの通り(高浜街道)沿いも火が走り、この地蔵堂も焼けた。
その後建てなおしたが、昭和30年に国道6号線のバイパス(今の6号)が完成し、道路にかかったために現在地に移された。

この話は単なる塵芥(ごみ)と護身(ごみ)の言葉の遊びのように思えなくもないが、同じような話は全国各地に残っている。

またこれに似た話が龍ヶ崎の金龍寺の「藁干観音」に伝わっています。

この話を要約すると
「昔、新田義貞が追っ手に追われてこの地に逃げ込んできた。
そして、農家が干していた藁束の前に娘が現れて、義貞をわらの中に隠してくれた。
敵は藁の中に隠れていることに気がつかずに行ってしまった。
そして藁からでてきたところ娘の姿もなく、これこそ観音様の化身に違いないと感謝して、この金龍寺に観音像を寄進して、厚く祀ったということです。」

この金龍寺は、元は群馬県太田市の寺で新田義貞による開祖が伝えられていますので武士が新田義貞になっていてもおかしくはありません。

このように各地方の昔話などを比較してみるというのも想像の輪が広がるようで楽しいものです。


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石岡地方の昔話 | コメント(0) | 2014/09/06 16:10
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