新池の狐(昔話22)

むかし、石岡から小川につがる道は「原道」といわれ、道の両側は松林でおおわれて人通りも少ない寂しいところであったそうです。

その原道の兵崎地区の谷津に新池という池がありました。

そして、ここには古い狐が棲んでいて、よく通行人を化かすと言われておりました。

ある明治の初め頃の夜に、志筑(しずく)に住んでいた男が、小川での用事をすませての家への帰りを急いでおりました。
そして男が丁度この池の付近にさしかかった時に、行く手に一人の美しい女の人があらわれました。
そして「旦那さま、どちらへお越しですか」とやさしく声をかけてきたので、男は思わず「はい、志筑へ帰るところです」とこたえてしまいました。

するとその女の人は「私も志筑へまいるところです。どうか一緒にお連れ下さい」と言ってきたのです。

その男は噂も聞いており、少し疑わしい気もしたのですが、女性の美貌に目がくらみ、まあこんな女性となら道中も楽しくなると考えた、仲良く二人で府中の町々を通り、宮下を過ぎたあたりまでやってきました。

するとその女性は「私はここで失礼します」と言って、燈の見える一軒の家の中に入っていきました。
そして男は少し不審に思い、女性の後をつけてその家の垣根の外に立って中の様子をうかがっていました。

すると、家人と挨拶する女性の姿が障子に映り、続けてお土産の万頭(まんじゅう)の包みを開く姿が映りました。
そして同時にそこには狐のしっぽが映ったのです。

それを見た男は、この女性が狐の化身と思い、「そりゃ、いけねえ!それは饅頭じゃなくて馬糞だよ」と叫んで、家の中に飛び込んだのです。

ところがどうでしょう、そこは家ではなく原町の新池であったのです。

この男はとうとう池におぼれて死んでしまったのです。

このようにこの新池は、幾人も尊い人命を奪ったので、「死池」とも呼ばれるようになったとのことです。

(あとがき)

この話のように小川街道も、明治初めの頃までは、寂しい通りだったようです。
しかし、この街道も玉造・行方から鹿島や鉾田方面の海岸と結ぶ昔からの街道です。
鹿島から大洗の海岸で採れた塩を都「府中」へ運んだ「潮(塩)の道」でもあり、親鸞聖人も何回も通った道でもあります。

歴史の詰まった道ですが、今では両側に飲食店なども並び昔の面影もなく賑やかな通りに代わっています。

この話も新池という名前が死池とも揶揄されて伝えられていたものと思われますが、昔の通りの姿を映す話としてとても興味があるものとなりました。
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石岡地方の昔話 | コメント(0) | 2014/12/08 19:32
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