木間塚長者(昔話19)

・木間塚長者

 昔、尼寺ヶ原(にじがはら)の北方の北の谷というところに木間塚将監という長者が住んでいた。

長者は非常に慈悲深く、困る人を助け、また信心深く、荒廃しかけていた国分寺の再建にも尽力した。

しかし、夫婦には子供が無く悩んでおり、伽藍御堂(がらみどう)の薬師さまに毎日願掛けをし、ついに瑠璃姫という女の子を授かった。

またこの長者の近くに幸作という夫婦者が住んでおり、こちらも子供がなく清水観音に願かけして女の子を授かった。
そしてその女の子に観音様の名前をいただいて「清水」と名をつけた。

それからしばらくしたある日のこと、この長者の屋敷に強盗が押し入った。

あわや殺されそうになった長者を、この幸作という若者がわが身を犠牲にして助けたのです。

それから年が流れ、この二人の女の子は美しい娘に成長した。

そんな頃、東馬という者がよからぬ計画をめぐらし、言葉巧みに城の宝刀を騙して盗んでしまった。

責任を感じた城の家臣の数馬は、この責任は自分にあると切腹してお詫びをしようとした。

するとそこにこの木間塚長者が現れ、盗まれた宝刀を差し出した。

驚いた数馬はその宝刀が見つかった理由をたずねたところ、長者は

「うたたねをしておりましたら、その夢の中で”麓にいる鳥を射よ”とお告げがありました。
そこでそのお告げにしたがって、麓の鳥を弓で射ると、鳥が落ちた場所にこの宝刀があったのでございます。

と述べたのでした。

命拾いをした数馬は大層喜んで、感謝の気持ちを伝え、何とか恩返しをしたいものだと心に留めていたのでした。

それからしばらくしたある日、木間塚長者が瑠璃姫・清水の二人の娘を連れて遊山に出かけていた時に、突然鬼が現れ、二人の娘をさらっていこうとしたのです。

この時、たまたま近くにいたこの数馬が鬼を追い払い難を逃れることができたのです。

数馬は長者から大層感謝されたのですが、また以前に助けられた宝刀の恩返しができたことを大変喜んだのでした。

そして、これも竜神社のおかげであると深く頭を下げたのです。

<あとがき>

このお話はどうも何時頃の時代か良く分からない所があります。
城についても原文は「国香の城」と出てきますが、少し意味合いがわかりにくいのでこの言葉は削除しました。
しかし江戸時代よりは古く、戦国時代前の室町時代頃だとすると、国分寺の境内そばに「伽藍御堂」が国分寺の塔などの伽藍を指すのか、現在200mほど東にあるガラミドウ墓地のあたりにあったと思われる伽藍御堂を指すのかがわからない。

またこの話にはその他にも「清水神社」「竜神社」という名前が出てくるが、この場所も良く分からない。
なお、尼寺ヶ原は国分尼寺のあった地区を指し、木の谷はその先の山王川のくぼんだ谷に近い場所にあります。

いつかもう少し内容を検証してみたいとも思います。

(追記)「竜神社」は村上の佐志能神社が昔村上神社と呼ばれ、また別に「竜神社」とも呼ばれたそうです。(2014.12.30)
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石岡地方の昔話 | コメント(0) | 2014/11/23 13:49
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