木比提(きびさげ)狐の恩返し(昔話21)

木比提(きびさげ)狐の恩返し:

 昔、山根の村のある人が、高浜からの帰り道に国分寺の祭りに立ち寄りました。

するとそこに、2匹の子狐がカゴに入れられて見世物小屋に売られるところに出会いました。

その人は哀れと思い、その子狐を買いもとめて木比提稲荷の森にいってカゴから逃がしてやりました。

 それから数年が経ちました。
その人はまたこの森の近くに来る用事があり、あの狐はどうしたかと思い木比提の森にまたやってきました。
すると何処からともなく、白い狐が突然現れ逆立ちして消えました。

 そして家に帰ってから夜に、お稲荷様の夢知らせがあり、翌朝夢に見たところを掘ると、一失金が一枚でてきました。
その年の秋にまた、夢知らせがあり、陸稲畑の株間に光った一失金が出てきました。
その後にも何度かお稲荷様のお告げがあり、とうとう金貨が百枚を超えてしまいました。

これが世間の評判になり、とうとうこれを聞きつけた村の人たちは我先にとこの霊験あらたかなお稲荷様に講中をつくり、二斗餅を奉納して参拝したのでした。

きびさげ稲荷

きびさげ稲荷03

(あとがき)
この木比提稲荷神社は石岡市の北東部の森にあるお稲荷さんです。
今は通りから少し外れていますので町の歴史からも忘れられた存在となっていますが、かなり大きな敷地があり府中城の鬼門の守り神として信仰を集め、また東京からも講中がありずいぶんにぎわっていたのです。

お話の山根の村というのは、今では八郷盆地と言われるエリアで、昔は山根盆地と呼ばれていました。
53もの村があったのです。

キツネが人を化かす話は各地にありますが、このように白狐が恩返しする話は古くからのお稲荷さんにいくつかあるようです。

牛久と龍ヶ崎の境にある女化ヶ原(女化神社)にも白狐の恩返しの話が伝わっています。

こちらの話は猟師に狙われていた白狐が農夫に助けられます。
そしてこの白狐が娘に化けて忠七の家に来て泊めてもらい、よく働くのでその農夫の嫁になります。

子供が3人(女・男・男)が生まれ幸せに暮らしていましたが、うっかり寝ていた時にしっぽを出してしまいそれを子供に見られて、森の中に姿を消してしまいました。

このような話と合わせて読むとまた違って見えてくるのかもしれません。
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石岡地方の昔話 | コメント(0) | 2014/12/06 22:50

新池の狐(昔話22)

むかし、石岡から小川につがる道は「原道」といわれ、道の両側は松林でおおわれて人通りも少ない寂しいところであったそうです。

その原道の兵崎地区の谷津に新池という池がありました。

そして、ここには古い狐が棲んでいて、よく通行人を化かすと言われておりました。

ある明治の初め頃の夜に、志筑(しずく)に住んでいた男が、小川での用事をすませての家への帰りを急いでおりました。
そして男が丁度この池の付近にさしかかった時に、行く手に一人の美しい女の人があらわれました。
そして「旦那さま、どちらへお越しですか」とやさしく声をかけてきたので、男は思わず「はい、志筑へ帰るところです」とこたえてしまいました。

するとその女の人は「私も志筑へまいるところです。どうか一緒にお連れ下さい」と言ってきたのです。

その男は噂も聞いており、少し疑わしい気もしたのですが、女性の美貌に目がくらみ、まあこんな女性となら道中も楽しくなると考えた、仲良く二人で府中の町々を通り、宮下を過ぎたあたりまでやってきました。

するとその女性は「私はここで失礼します」と言って、燈の見える一軒の家の中に入っていきました。
そして男は少し不審に思い、女性の後をつけてその家の垣根の外に立って中の様子をうかがっていました。

すると、家人と挨拶する女性の姿が障子に映り、続けてお土産の万頭(まんじゅう)の包みを開く姿が映りました。
そして同時にそこには狐のしっぽが映ったのです。

それを見た男は、この女性が狐の化身と思い、「そりゃ、いけねえ!それは饅頭じゃなくて馬糞だよ」と叫んで、家の中に飛び込んだのです。

ところがどうでしょう、そこは家ではなく原町の新池であったのです。

この男はとうとう池におぼれて死んでしまったのです。

このようにこの新池は、幾人も尊い人命を奪ったので、「死池」とも呼ばれるようになったとのことです。

(あとがき)

この話のように小川街道も、明治初めの頃までは、寂しい通りだったようです。
しかし、この街道も玉造・行方から鹿島や鉾田方面の海岸と結ぶ昔からの街道です。
鹿島から大洗の海岸で採れた塩を都「府中」へ運んだ「潮(塩)の道」でもあり、親鸞聖人も何回も通った道でもあります。

歴史の詰まった道ですが、今では両側に飲食店なども並び昔の面影もなく賑やかな通りに代わっています。

この話も新池という名前が死池とも揶揄されて伝えられていたものと思われますが、昔の通りの姿を映す話としてとても興味があるものとなりました。
石岡地方の昔話 | コメント(0) | 2014/12/08 19:32

伊豆屋(そば処)

 手打ちそば「伊豆屋」(石岡市石岡2136-1)

木比提稲荷神社入り口にある。まわりに他のお店などはほとんどない。

伊豆屋11

十割常陸そばが美味しい。

伊豆屋12

三色天もりそば(十割、ゆず切り、赤パプリカ切り)1000円(エビが2尾入ってます)

伊豆屋10

陶器のお皿に蕎麦が盛られてきますが、上野写真は右がつゆの追加分で左が蕎麦湯が入っています。
石岡周辺 | コメント(0) | 2014/12/09 21:25

ブリ漬け丼

 銚子の観音にある丼屋七衛

魚の漬け丼の専門店だがこの時期になるとブリかサバで迷った。
数年前から銚子極上さば祭りが市内の協賛店で行なわれているが、今年も始まっていた。

でもまずブリを食べて見たいと思い、お願いした。

ぶり丼01

ぶり漬け丼単品(漬物付き)で1000円。

ぶり丼02

まあ美味しかったが、今度はやはりサバがいいだろう。
前回は赤マンボウを食べた。

ぶり丼03
銚子周辺 | コメント(0) | 2014/12/11 18:26

さば茶漬け

 福岡空港で軽く昼食をとろうと入ったところが国内線ターミナルの3Fにあった海鮮の店でした。

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「玄海の幸 海幸」のさば茶漬け(750円+税)

さばの刺身(タレ漬け)にワサビ、キザミ海苔、ゴマをご飯に載せてお茶をかけていただきます。

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サバはこの時期美味しいですね。

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九州の地酒などもたくさんありました。
食事処 | コメント(0) | 2014/12/19 22:33

ゴボゴボ池(昔話23)

  常陸風土記の丘公園の古代ハス(大賀ハス)が生い茂る「金山池」に伝わる狢(ムジナ)のお話です。

 むかし、龍神山の中腹にある穴に古狢が棲んでおりました。

この古狢はときおり近くを人が通ると、よく木に登り月に化けておりました。

しかし、あわてん坊のこの古狢は、東の空に月が上りかけているのに、その反対側の空に月を出してしまい、通行人に見破られて石を投げられては、あわてて木からとびおり、いそいで藪に逃げ込んだりしていたといいます。

ある日の夕暮れどき、龍神山の麓にある金山池の辺りを通った男が、ふと池の方をみると、池の上にさし出た松のところに丸い、うす赤味をしたお月さまが出ていました。

男はこれはまた間抜け古狢だなと思い、驚かせようと松の木の幹をゆり動かしたところ、狢は松幹に必死になってしがみついているようです。

これを見た男は、さらに幹をゆすりながら大声で「馬鹿狢!池におっこちろ」と叫びました。

その大声におどろいたのか、古狢は松の幹から手足を外してしまい、そのままドボンと水におちてしまいました。

そして、ゴボゴボもがきながら池に沈んでしまいました。

それ以来、この池の水はいつも、ゴボゴボと鳴っているといいます。

またこの時から、この池のことをゴボゴボ池と呼ぶようになったのだということです。

gobogoboike.jpg


<あとがき>
 
 何処にでもありそうな、他愛もない話ですね。

昔から狢は人にも化けるが「月」にも化けると言われていたようです。

この狢が棲んでいたという龍神山は採石業者によって年々削られて小さくなっていっています。

昔は雨乞いの山でもあり、石岡市内に綺麗な水を流してくれる山でもありました。

でも、山がなくなると失ったものはとてもとても大きいです。

この狢のお話も忘れられないようにしたいものです。
石岡地方の昔話 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/12/22 20:37

サバ漬け丼

 銚子の特上さば料理祭も今年で5回目だそうです。

これは銚子の加盟店でさばコース料理(2700円)が味わえるのだそうです。
私が訪れた店でもこれを予約したお客さんが何組もいました。

美味しいんですよ。 でも昼時の少ししか時間がないものにとっては全品楽しむことはできません。
このため少しずつ小分けで楽しんでいます。

これは前にも食べた特上さばの漬け丼をいただきました。(単品:1000円)

さば漬丼01

(観音食堂 観音食堂 丼屋 七兵衛  12月16日)

さば漬丼02

観音食堂1
銚子周辺 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/12/24 21:23

残念坂(昔話24)

・残念坂                         

 府中城は現在の石岡小学校の入口に土塁が残されており、その名残を感じることができますが、三の丸、二の丸、本丸と二重の堀があるとても大きな規模のものでした。

本丸のところは山となっており、城中山と呼ばれておりました。

現在の若宮八幡宮まえを通り、染谷池袋に通じる途中に残念坂と呼ばれている坂があります。

それは、この府中城が落城したときのお話です。
正平年間(1346~1370)大掾詮国により国府の置かれていた場所に府中城が築かれ、難攻不落の城といわれ、長い間、大掾(だいじょう)平氏の城として守られてきました。

しかし、天正18年(1590)12月に佐竹義宣に攻められ、城も炎上し、ついに落城してしまいました。

大掾氏最後の城主となった清幹(きよもと)はこの時まだ18歳でした。

迫りくる敵の攻撃にもはやこれまでと最後の腹を決めた清幹は馬に飛び乗ると城を後にしたのでした。

そして宮部の坂に差し掛かった時、城の方を振り返ると今まで何代にも亘って守り継いできた城が真っ赤な炎を上げて燃えています。
清幹はこの燃えるわが城をながめて「嗚呼残念」と慨嘆したといいます。

平国香以来、約600~700年の間続いてきた坂東平氏の棟梁である大掾氏は滅んだのです。


fuchuujyou2.jpg
(府中城の土塁)

(あとがき)

 しかし、この残念坂にも、別な言い伝えも残されています。
それは、落城の際に、敵のすきをぬって、一人の武将が馬にまたがり疾風のごとくごとく脱出し、染谷池袋へ通ずる宮部地内の坂道へ落ち延びてきたが、運悪く馬の脚が泥中に入り込み、一歩も進まず、ついに追手の矢の集中射撃をうけ、「ああ、残念!」と一言いって、ついに落命したという。

どちらが本当かはわかりません。

また若宮八幡宮の裏手の坂道は、今は多くの住宅が建ち、何処が残念坂であるかは私はいまだに確認できていません。
石岡地方の昔話 | コメント(2) | 2014/12/25 16:26

手打ちそば処麓

 今日の昼に息子夫婦と蕎麦屋に行ってきました。

アメリカから帰ってきて食べたい物の一つのようです。
石岡も日本蕎麦屋さんが多いです。
どこに行くかを考えて根小屋の麓(ふもと)さんへ行ってみました。

ここも午後2時までしかやっていませんし、無くなり次第終了ですから早めに行かないとなくなります。

今日は休みかもしれないと思ったのですがやっていました。
先客が3組おりました。

ふもと01

野菜天せいろ 1050円

ふもと02

天ぷらは塩でいただきます。

ふもと03

そばゼリーがつきます。綺麗な色ですね。
上にのっているのはきな粉です。

最後にご主人が笑顔でリンゴをむいてもってきてくれました。
人のよさそうなご主人も脱サラして、自宅を改造してお店を始めたようです。

ここは庭もきれいですし、雰囲気も良いです。
そばの味も好きです。

年内は31日までやっているそうです。
石岡周辺 | コメント(2) | 2014/12/27 16:24

サバの味噌煮

 「銚子極上さば料理祭」11/22~1/25  今年で5回目。

確かにこの時期のさばはうまい。2700円のコース料理で予約が必要とのこと

サバ味噌02

昼に少し食べるだけなのでこんなに料理もいらない。
今回は単品でさば味噌煮(700円)を頼んだ。

写真は窓際で日が差し込んでいてあまりうまく撮れていない。

サバ味噌01

ごはんなどをセットにしてもらった。つみれ汁なども含んで450円プラスで1150円であった。
でもサバの味噌煮はうまい。

家で作るとなかなかうまくできない。

サバ味噌03
(銚子市 観音食堂 丼屋 七兵衛にて)
銚子周辺 | コメント(0) | 2014/12/30 09:46
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